日本沈没の一族再会
1973
日本の走馬灯
いかなるものであれ、しかじかに存在し、しかじかに存在し続け、別様にならない理由はない。世界の事物においても、世界の諸法則についてもそうである。まったく実在的に、すべては崩壊しうる。木々も星々も、星々も諸法則も、自然法則も論理法則も、である。これは、あらゆるものに滅びを運命づけるような高次の法則があるからではない。いかなるものであれ、それを滅びないように護ってくれる高次の法則が不在であるからなのである。
カンタン・メイヤスー『有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論』
このすべてが崩壊しうること、その「可能世界」を1970年代、中でも1973年、その『日本沈没』はみせる。始めの1970年7月、盛況の大阪万博の終わりを待たずして、いざなぎ景気は終わり、高度経済成長は終わりの始まりを迎えた。続く1971年にはニクソン・ショックが起こり円高不況、それに伴い不況カルテルの乱立。1973年には第一次オイルショック、そして翌年には戦後初のマイナス成長を迎え、ここに高度経済成長は終わった。さらには、同年日本国内における出生数のピークを迎えると同時に、コインロッカーベイビーと呼ばれる捨て子事件が43件発生。この事件はその多さに加え、発見し難いコインロッカーという性質から、殆どが死体として発見されるがゆえにこれまでの捨て子とは大きく異なる。一族の断絶を意味する。
そこで、一族の終わりは日本の終わりと重なる。それは1973年に刊行された『日本沈没』も同じである。地殻変動によって沈没する日本列島をもって、日本は終わる。その物語は八丈島の一族に関する昔話に集約され幕を閉じる。
憑在論としての戦争
この終わりは戦争にある特有の終わりに似ている。
戦争、それは過去の喪失であると同時に、戦争自体を記憶することが未来への想像力をもたらす。つまり、戦争は現在の社会が変容する可能性、その「可能世界」を幻視させる。しかし、日本の戦後とはいささか特異なものであったと言わざるを得ない。
日本はあの敗戦の中で何もつかまなかった。中途半端な妥協より徹底的な犠牲からつかむべきではなかったか。
小松左京『地には平和を』
このように、日本において戦後とはむしろ戦争の忘却に依ってして、築かれた。この高度経済成長に下支えされた資本主義イデオロギーに、戦争の「痕迹」をみつけることは難しい。
それは、戦争がもたらすはずの発掘がなかったことに依拠する。本来、戦争は塹壕、その掘り返す運動によって根源、「見えないもの」を発掘する。
より深い層の化石に加わる圧力には、その形状をとりわけ明確にする度合いのものがある。しかしながらこの圧力は、その度合いがごく僅かに増加しただけで、瞬時にその形を留めぬまでに破壊する。そのため貝や植物の鮮明な痕跡に隣り合って、岩塊の中、もはや原型を見いだせぬほどに粉砕された化石の欠片を見いだすことがあるのだ、これは相互の層の連関を毫も認められぬほどに粉砕してしまう形状の壊滅が生じたことの証左である。
エルンスト・ユンガー 『Das abenteuerliche Herz. Erste Fassung: Aufzeichnungen bei Tag und Nacht. 』
つまり、戦争とは断層を生み出すことで、破壊される化石、記憶とともに、「痕跡」として埋もれていた歴史を掘り起こす。それは西洋、あるいは近代の観察の外にある。労働者=兵士とは大地を踏みしめること。この触覚に依拠する。これは戦争を駆動する視覚の欲望、見る-見られるといった特徴が生み出す非対称な関係性と呼応して生まれる命令、その指揮系統の非対称性と異にする。触覚は常に触るとともに触られる対称な関係性を築く。であるがゆえに労働者=兵士は逆説的に植民地主義、あるいは帝国主義を棄却する。
また、このような運動はその化石の発掘によって、人類の知覚を越えた時間を想起させる。
過去の生命の痕跡を示す物証、すなわち本来の意味での化石ではなく、地球上の生命に先立つ、祖先以前の出来事ないし現実を示す物証を、原化石[archifossile]、あるいは物質化石[matierefossile]と名づける。つまり、原化石とは、祖先以前の現象の測定を行う実験の物質的な支えである。
カンタン・メイヤスー『有限性の後で: 偶然性の必然性についての試論』
このように、戦争は人類の歴史をも越えた「祖先以前的」な現実を喚起する。この人類の経験を越えた歴史に「接触」すること、これこそが『日本沈没』における人類史上初の大地震に重なる。
しかし、このような戦争の在り方、これが本土決戦なくして終戦した日本には存在しない。『日本沈没』の目論見とはその歴史の訂正にある。そこで、塹壕の運動はプレートテクトニクスの断層へと置き換えられ、大洋は破壊される化石と同様に、掘り返された「見えないもの」をも即座に海の藻屑と化す。「見えないもの」はその崩落する瞬間、日本列島の巨大さとともに記憶される。
法と崇高
日本海溝!
あの光と風にみちた、洋々として平坦な太平洋の底七千メートルの深さにながながと横たわる、世界最大の海溝──。
水面下七千メートルにひそむ、この巨大な暗黒の中で、いま、たしかに、何かが起こりつつあるようだった。──南のはてから北のはてにまでその体を横たえた、冷たい巨大な、暗黒の蛇は、その上につみかさなる猛烈な圧力をはねかえし、いまかすかにその皮膚を振動させ、わずかにうごめき、のたうちはじめている……。
だが、──では、いったい、そこで何が起こりつつあるのか?
尾をひいて、小さくかがやきつつ、直下の闇へおちて行く、三つの星を見つめながら、小野寺は、その大洋の水の壁の巨大さ、その底にひそむ暗黒の怪物の巨大さ、そしてそれに対する人間の存在の小ささ、知識の小ささを感じ、体の芯から冷気がこみあげてくるような気がした。──この広大な未知の中を、小さな船に乗ってのぼって行くわびしさが、冷たい海水の圧力といっしょになって、ひしひしと胸をしめつけた。あとの二人も、同じ思いにとらわれているらしく、ひっそりと息をひそめ、暗がりの中に身じろぎもせず、小さな観測窓のうす青い円形に、じっと眼をすえていた。
──そこに、何が起こりつつあるのか?
小松左京『日本沈没』
ここで、日本、その大地にそびえる国家は大洋に呑み込まれる未来、「可能世界」に慄く。広大な、暗く閉ざされた大洋の底、海底でのたうちまわる暗黒の蛇を見ることによって。このトマス・ホッブズのかのリヴァイアサンをも破壊しうる怪物。彼らはその闇を見つめ、耽溺することしかできない。
そこで、彼らはこの計算不可能な未来に「崇高」をみる。
崇高は、一見して不快でしかないような対象に対して、それを乗り越える主観の能動性から来る快にほかならない。カントによれば、崇高は、対象にあるのではなく、感性的な有限性を乗り越える理性の無限性にある。逆に言えば、崇高は、理性の無限性を自己に対立する対象に見出す「自己疎外」なのである。
柄谷行人『ネーションと美学』
この「崇高」、あるいはリヴァイアサンは、法をはじめとしたいかなる法則をも超え、日本は日本が沈没するという「崇高」のイメージによって、むしろ国を形成する。国に対する「自己疎外」自体が、国民を意味する。この不在の国に法はいらない、よって統治者も必要としない。そこには、美学としての絶対的な日本のみが存在する。法に制限されることのない自由、その理性の無限性を持った日本が。
日本を待ちながら
そしてまた、この沈没はそれ自体物語として機能する。この終焉をもって神話は完結する。つまり、神話は起源に基づく建国神話と対称的な終焉に基づく亡国神話とで初めて国の歴史、その全てを物語、虚構として語ることを可能にする。そこで日本は「超越論的仮象」として語ることの自由を得る。
超越論的仮象は、仮象であることがすでに発見され、またその取るに足らないものであることが超越論的批判によって明らかに見抜かれても、それにも拘らず依然として仮象たることをやめないのである。
イマヌエル・カント『純粋理性批判』
この「超越論的仮象」としての日本。この神話は永遠に日本の復活を無限遠点に置く。
ここで考えるべきなのは、ニニギの天孫降臨とは何かということだ。記紀では高天原から降臨したことになっているが、では高天原とは何かというと端的には外部だろう。つまりニニギは外部からの来訪者であり在地のとのではないということである。あるいはその子孫の神武の側からすれば、自己のルーツを外部として作ったといえるかもしれない。そしてニニギはいわば外部注入者として存在することになる。神武はニニギに体現された外部注入者に基づいて東征軍組織を形成し、畿内大和のニギハヤヒ系の既存保守勢力を倒し、大和朝廷建国するわけだが、明らかにこれは後の言葉いうならば革命であろう。神武の東征組織の革命性もまた、ニニギの天孫降臨としての外部注入性にある。神武の統制組織とは一種の革命軍なのであり、そして神武による建国は革命国家だったといえるのだ。そしてこれが国体のルーツであるとするならば、国体とは革命であり、革命に敵対する保守や反革命はことごとく国体の敵ということになるだろう。近代以来の多くの国体論者には驚愕的なまでに同意しがたいことかもしれないが、しかしこのような解釈は可能なのである。
千坂恭二『思想としてのファシズム』「世界革命としての八紘一宇──保守と右翼の相克」
この革命としての建国神話とともに、日本は喪失それ自体を国体に据える。この喪失こそが日本を存続せしめる。
コスモポリタニズムとしてのコーラ
ところで、それではそうして世界を喪失しつつあると感じている私が、生きているのはなぜだろうか。この問題はもちろん簡単には答えられない。しかしおそらく私は、自分から剝落して行ったものを言葉の世界に喚び集めようとして生きているように思われる。世界を言葉におきかえること──それは実在を不在でおきかえることだ。この言葉はもとより私の言葉でなければならない。もし世界が完全なかたちで実在していたなら、当然そう感じられたであろうような親密な感触を、私とのあいだに持ち得る言葉でなければならない。
私はこの言葉の世界──不在の世界に、自分の一族を招集してみたい。彼らの大部分はすでに死んでおり、そうでない者もなにかの崩壊を体験しつつあるが、そうすることによって私は自分が喪失して来たものの跡をできるかぎり明瞭にたどってみたい。それが一族、つまり肉親でなければならないのは、私たちが肉親を通してしか他人に接触できないようなかたちで生きているからである。そうすれば、多分私は、彼らがそれぞれの「時代」を、どんなやりかたで呼びよせたかを見ることにもなるであろう。またこのことは、とりもなおさず私自身がいったい何者であるのかを問うことにもなるはずである。
江藤淳『一族再会』
この喪われた一族の再会のための作品。『日本沈没』はそこに可能性を見出す。しかし、その再会のための場、大地すら存在しないとすれば。
出来しそして立ち現れること[Herauskommen und Aufgehen]それ自体を、しかも全体としてのそれをギリシャ人たちは早初期にピュシスと名づけた。このピュシスが同時に、人間が自身の居住をその上にそしてその内に基づけるあの場所を空け開く[lichten]のである。われわれはそれを大地[Erde]と名づける。(中略)大地とは、立ち現れることが立ち現れるものの一切を、しかも立ち現れるものとして、それの内に返還し、保蔵する[zuruckbergen]ものである。大地は、保蔵するもの[das Bergende]として、立ち現れるものの内で、その本質を発揮するのである。
マルティン・ハイデッガー『芸術作品の根源』
この出来しそして立ち現れるための大地を失うとは、つまり作品、あるいは物自体の不可能性に直面することでもある。そこで、大地の代わりに作品、世界の場として大洋=「コーラ」が見出される。
『あるもの』と『場』と『生成』とが、三者三様に、宇宙の生成する以前にもすでに存在していたのです。そこで生成の養い親は、液化され、火化され、土や空気の形状を受け入れるとともに、他にもそれらに伴うすべての状態を身に受けて、見た眼にありとあらゆる外観を呈しましたが、何分、似てもいなければ、均衡もとれていない諸力(機能、性質)によって満たされたために、そのどの部分も均衡がとれないで、自分自身がそれらによって、不規則にあらゆる方向ヘと動揺させられて、ゆすぶられながら、また自分のほうも動かされ動くことによって、逆にかのものをゆすぶり返しました。そして後者は動かされることによって、絶え間なく、選り分けられてそれぞれが違った場所へと運ばれて行きました。
プラトン『ティマイオス』
その「散種」を支える場こそが、「コーラ」である。このもはや名づけえぬものから日本は不断に繰り返す。ある一定の時間的連続性を伴って。
ある晩、母親の丹那婆は、息子を呼んで、この島の島民が、昔、津波で全部死んでしまって、その息子をおなかにみごもった丹那婆だけが助かった話を聞かせたの。そして〝死んだ島の人たちのかわりに、島の人間を、私たち二人だけでふやしていかなければならない。だから、おまえは私と交わって、おまえの子種を私におくれ。そうしたら、私は、おまえの妹を生んであげる。妹ができたら、今度はおまえは妹と交わって、子供たちをふやしていくんだよ。……〟そういって、自分の息子と交わって、次に女の子を生んだの。息子は、その自分の妹と夫婦となり、そうしてだんだん子孫をふやしていった。……それが八丈島の島民だ、というの……
小松左京『日本沈没』
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